ウルトラマンZ 感想
まず、私はこの作品が好きではありません。
Xやオーブの頃から田口清隆監督や坂本浩一監督、脚本家の中野貴雄の「懐古厨に媚びた作風」「勘違い昭和」な作風が嫌いでした。
まあここまでは好みの問題でしょう。
ただ面白くない、出来が悪い作品はニュージェネシリーズやそれ以前にもありました。
なのでそこまで怒るつもりはないのですが、Zは「シリーズ構成」含めて田口監督がやっていて「最終回から逆算して作っている」と豪語しています。
造り手側が非常にビッグマウスなのです。
そうなれば作品を見る目も厳しくなります。
https://news.mynavi.jp/article/20191229-948015/
作り手のビッグマウスは「仮面ライダーゼロワン」が記憶に新しいですね
そして「最終回から逆算している」はずのウルトラマンZ、話の軸がブレブレなのです。
まず主人公のナツカワハルキ。
志願してストレイジに入隊し、セブンガーでナメゴン(本編未登場)やギガスを撃退し戦果をあげた若きスーパーロボットパイロット。
そんな彼が第11話「守るべきもの」レッドキングを前に突然攻撃を躊躇います。
卵があったとか少しの要因はあれど、今まで怪獣を(しかも可哀想の度合いなら同等のゴモラを)普通に倒してきた彼が突然迷い、逃がしてしまう。
そもそも自分から入隊してパイロットの仕事をしておいて迷うってそれ仕事舐めすぎでしょうと。第5話「ファースト・ジャグリング」で「(ヨウコ先輩の活躍を見て)俺もプロでいたいんだ」「俺達は怪獣退治の専門家だ」と意気込んでいたが結果がこれ。
これが本当に逆算して書いた脚本でしょうか?一番重要な主人公の主張すらブレブレです。
それともメインライターの吹原にとっては「割り切って怪獣を倒せるハルキ」こそ未熟で成長すべき青臭い存在なのでしょうか?
そして続く第12話「叫ぶ命」ではヨウコ先輩の
今この世界に、怪獣の居場所はない。可哀想だけど...。 だからこそ、誰かに押し付けちゃいけない。ちゃんと背負いたいんだ!命を奪う責任を...!
という言葉がろくに響かず、結局グルジオライデンを撃つことが出来ず、ヨウコの操縦するキングジョーがトドメを刺すことになりました。
ハルキは5話でなりたかった「プロ」とはこういう割り切りが出来る仕事人のはずです。
そしてハルキの父親マサルも大概です。怪獣ギーストロンが現れた街で群衆を助けるために家族を置いて死んでしまいました。
どうやら仕事は消防士らしく、確かに市民を救った彼は間違いなく英雄でしょう。ハルキはその父親のような強い男になりかかったからストレイジに入隊したんだと思います。
しかし、家庭を置いて死ぬなんてこれ以上ないくらい最低な父親ではないでしょうか?
それとも不特定多数の他人を救うために。
家庭を持った以上、親の命はもう本人だけの命ではないのです。命を守る責任を負いたいならまずは一番近くの命を守るために必要な自分の命を守り抜いてからにして欲しいです。
なのでそんな彼が14話「四次元狂想曲」で偉そうにハルキに説教をするシーンは観るに耐えませんでした。
命の優先順位がガバガバなのは父親譲りと考えれば全てに納得が行くので、もしかすると吹原や林はそこを擦り合わせた上で書いていた可能性はありますね(絶対に無い)。
そして同じく14話でハルキが行き着いた結論は
手の届く範囲を全力で守り、傷付けたものは忘れず胸に刻み込む
これもまたお粗末で、届かない手の範囲を伸ばすためのロボットであり、ウルトラマンです。
やむを得ず救えない命があるのは仕方なくても、常に最善を尽くす気概は必要なはずです。
そしてこの辺りの「割り切り」は入隊時もしくは最序盤で終わらせておくべきではないでしょうか。(例えば第2話「戦士の心得」でやればタイトルとも噛み合い後の展開に支障は出ません)
というか、1話では間違いなく出来ていました。ウルトラマンと一体化した理由も「人を守るためにゲネガーグを倒す(殺す)」ためなのです。
なぜその決断ができたのに1クールの終わりになってから突然曇るのでしょうか。
ジャグラス・ジャグラー(ヘビクラ隊長)の行動も辻褄が合いません。
最終的な目標は惑星カノンの戦士たちに彼らの正義の危うさを思い知らせる事。
そのために地球のロボット兵器が必要だから裏から手を加えてセレブロの計画にタダ乗りして科学技術を進歩させていた………らしい。
しかし、「オーブ」の頃はともかく「オリジンサーガ 」ではガイの仲間として共闘してたし、本筋の回以外だとしっかり隊長の責務を果たしていてリクに言った通り「正義に目覚めた」という台詞も納得のいく物になっています。
彼の正義に関してはこの記事を参照
第1話では「人命も大切だが規律も守れ」と社会人としての在り方を説き、クリヤマに謝罪する際にはハルキにも負けないスカッと気持ちのいい体育会系ノリを見せてくれた。
第5話「ファーストジャグリング」では複製が終わったらゼットライザーをちゃんと返してくれる。
第7話「陛下のメダル」第10話「宇宙海賊登場!」ではさながら小さなウルトラマンのように隊員やリクを颯爽と助けに来るヒーロームーブ。
第18話「2020年の再挑戦」ではかつてケムール人から地球を守った勇敢なる先人に賛辞を贈り
第20話「想い、その先に」ではハルキのスタンスに柔軟に対応し重役に頭を下げ、それでいて一キロ圏内に入ればM1号を殺すと理想と現実のバランスを上手くとる超有能さを見せてくれました。
そして第21話「D4」ではセレブロに乗っ取られたクリヤマの指揮を打ち切り現場の人間としてヨウコをサポートしてケルビム撃破に繋げる超ファインプレー。
ここまでの隊長としての有能ぶりが14話や24話で語られたあまりにもくだらない目的のためにあったと思うとあまりにも「台無し」感が否めません。
キャラクターに関してはここまで。
ここからは超兵器とそれに伴う倫理観について。
キングジョーストレイジカスタムの強さは14話「四次元狂想曲」の時点で言及されていました。
防衛のためとはいえ過剰ではないか、と。
昭和ウルトラシリーズにおいてゼットンと双璧をなす最強怪獣でやると説得力が増します。
だってウルトラマンZが全フォームを使って機能停止はできても完全には破壊できなかったのです。
と思っていたのですが味方になってからのキングジョー、本当に弱かったですね。
なのでその手の超兵器ドラマが無かったのも納得が行きます。
なのでそんな木偶の坊でガラクタなストレイジカスタムの追加武装として「D4」が登場。これはバラバの角を元にしたビーム兵器で広範囲を次元ごと砕きます。今度は本当に強い。
しかしありえないぐらい強すぎるので流石に隊員たちも危険視。
そして怪獣たちがウルトロイドゼロに装備されたD4にビビって地上に出てくる展開。
ただこのD4はウルトラマンの光線を解析し中和された安全なものです。
いわゆるガイア理論を持ち出してきましたが、デメリットのないものを危険視し始めて私は困惑していました。
せめてお腹を空かせたパゴスあたりが「超エネルギーを食べに来たよ〜」くらいにしておけばいいものを…
そしてその怪獣をウルトラマンや防衛軍が倒そうとするとユカ隊員が衝撃の一言
「人間が人間を守ってるだけじゃん…」
えっ!?
人が人を守って何がいけないんですか
地球防衛軍は人が運営する組織であり、人名が最優先のはずです。
この作品の生命倫理や命の優先順位はキャラクター単位ではなく作品単位で狂っています。
そして超兵器D4の扱いもふわふわしています。恐らくこれはウルトラマンダイナのネオマキシマ砲が元ネタだと思われますが(デストルドスはゼルガノイド)、ネオマキシマ砲は危険な兵器ゆえに封印され最終決戦でのみ使用され太陽系を救いました。D4とは扱いの丁寧さがあまりにも違います。
そもそも初期の「ウルトラマンZ」もとい「ウルトラマンX」はエンタメ性溢れる単発回や往年のウルトラマンを思わせる空気感な未来科学やミリタリー、怪獣。そして客演回で受けていたはずです。
それでもウルトラマンXはまだ思想はそこまで強くなく、大地が怪獣と共に生きる世界を実現したいという思想を押し付けてこず「いつかこうなるといいね」という願望で終わらせ、娯楽性に振るのはある意味誠実だと思います。
しかしZは中盤から突然エンタメ性よりもメッセージ性を優先し、それでいて最終回で全放棄してまた娯楽活劇に戻しました。
これがもし「路線変更」なら納得できますが、シリーズ構成が「最終回から逆算しながら作った」と言っている以上は逃げられません。
そしてしまいには過去作から力を借りるだけなら飽き足らず内容は媚っ媚びの過去作の焼き直し劣化コピー。
ニュージェネレーションが聞いて呆れます。
なので私のウルトラマンZの評価は
ニュージェネレーションヒーローズの集大成たる「駄作」
です
新世代を名乗るならいい加減平成三部作コンプレックス丸出しの作劇をやめてください。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
それでは。